日蓮正宗美畑山清涼寺 千葉の清涼寺 法華講ホームページ 千葉県千葉市花見川区畑町

日蓮正宗美畑山清涼寺は、千葉県千葉市花見川区にある日蓮正宗の寺院です

〒262-0018 千葉県千葉市花見川区畑町2010番地 Tel.043-273-3987
清涼寺本堂の沿革

清涼寺本堂の沿革

昭和32年(1957年) に此の地に在った「一軒の大きな農家」を東京・池袋の常在寺の「千葉出張所」として開所したのが始まりとなっております。
その農家の大黒柱が、御寺の受付の右側にある「穴が刻まれている太い欅の柱」がそれであります。

その後昭和34年(1959年)に、清涼寺としての寺号がやっと公称になり、初代住職・菅野慈雲(後に常観院)御尊師が…、そして二代目・細井珪道御尊師の時、昭和57年(1982年)に、この本堂の瓦屋根が銅板葺になったという記録がありました。

この本堂、この地に立つ前は東京・墨田区向島の常泉寺の本堂でした。 江戸で一番力のあった常泉寺、戊辰戦争の時に火災を免れましたが、その後の関東大震災で東京・下町の建物の多くが壊滅状態になり、常泉寺も同様に倒壊しました。
それにより昭和の初め、今日、清涼寺の本堂となっておりますが、これが常泉寺の本堂として建ちまして、当時建てられた御方が、今の御隠尊日顕上人のお父上の日開上人の時代に建てられたと伺っております。
非常に資材のない時代でしたので、この建物自体の木材・資材などは「そんなに良い資材じゃないよ」という話を伺った事があります。

その後の太平洋戦争の時の東京大空襲。この時も常泉寺は火災を免れました。
深川、本所など隅田川の東側の建物の多くが焼焼失しましたが、常泉寺はこれも免れました。
しかし、その時にかなり屋根も傷んだので、その屋根の修復も兼ね、その当時、常泉寺の執事として本行寺の住職を務めておられた御方が、今日の御隠尊日顕上人様で、まだ二十三歳頃だったそうです。
その当時の御住職から「何とかこの屋根を直したいんだが」と相談された時、戦争でもって多くの常泉寺の法華講員さんが散り散りになっていた事もあって御隠尊日顕上人は自転車で東京都内を駆けずり回り、何とか百円程を皆さんからの御供養として預かり、屋根瓦を設える事が出来、 それがそのまま清涼寺の本堂瓦として使われていたのが、昭和57年(1982年)に銅板葺に替えられたのであります。

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