日蓮正宗美畑山清涼寺 千葉の清涼寺 法華講ホームページ 千葉県千葉市花見川区畑町

日蓮正宗美畑山清涼寺は、千葉県千葉市花見川区にある日蓮正宗の寺院です

〒262-0018 千葉県千葉市花見川区畑町2010番地 Tel.043-273-3987
従藍而青

今月の指針「志は満たすべからず」

 『礼記』(らいき)に、
「傲りは長ずべからず。欲は従(ほしいまま)にすべからず。志は満たすべからず。楽しみは極むべからず。」
とあります。

 傲りは驕慢(きょうまん)、十四謗法の筆頭です。自信と確信は生きる力、慢心は衰退の源です。
「慢は山の如し、雨水止まらず」。山上に降った雨が瞬く間に下方に流れるように、慢心は積んだ功徳を洗い流してしまいます。
信心の難敵である驕慢を絶対に看過してはなりません。

 貪欲(どんよく)は、放置すれば身の破滅を招きます。
少欲知足(しょうよくちそく)は、貪欲を抑える心のコントロールです。
欲望も志も満たされないからこそ別の志が立ち、新たな発心が芽生え、更なる進歩に繋がっていくのです。

 もし志が簡単に達成できたとしたら安心が生れ、過信を生み、魔がつけ入って躓き(つまずき)のもとになります。
楽しみも極めれば侘びしさ(わびしさ)が残り、酔い覚めの空しさを味わうことになります。
人間にとって、志というものは満たされないからこそ、更なる高みを目指して努力を重ねることができるのです。

 日蓮大聖人は、
「深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず(おこたらず)磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。」
   (『一生成仏抄』新編46頁)
と御教示です。
信心とは、常に前進して自己の成長を願うもの、進まざるは退転です。
魔は虎視眈々(こしたんたん)と油断の隙を狙っています。
三大秘法の御本尊を固く信じて、倦まず弛まず(うまず たゆまず)勤行・唱題に励んで仏性を磨く、そこに何ものにも侵されない瑞々しい命が輝き続けることを忘れてはなりません。

 自行の着実な実践が化他の力を生み、折伏の意欲が沸き上がって弘教の実践に繋がります。
「自行満ちて化他あり。」皆様の充実した日々を心からお祈りいたします。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2022年6月1日号より

今月の指針 「蜘蛛の糸」

 ある時 釈尊 が、極楽の蓮池に浮かぶ蓮葉の間から、水面下に深く広がる地獄の様子を御覧になると一人の男の姿が目に止まりました。
それは、悪事の限りを尽くして地獄に堕ちて藻掻き苦しむカンダタの姿でした。
しかしそんな男でも、たった一度だけ一匹の小さな蜘蛛を見つけて踏み殺さず、「待てよ、これも小さな命」と逃してあげたことがありました。
釈尊は、その僅かな善行の報いとして地獄の苦しみから救い出してあげようと、一本の蜘蛛の糸を地獄へ下してあげたのです。

 遠い天空からゆっくりと下りてくる一筋の細い蜘蛛の糸。それを目ざとく見つけたカンダタは、藁をも掴む思いでこれに縋りつき、夢中で上へ上へと昇っていきました。
血の池は遥か下方に沈み、針の山もだんだん小さくなっていきます。

 「しめ、しめ、意外と簡単に脱出できるかもしれない。」などと、虫のいいことを考えながら足もとを見ると、糸の先には、まるで蟻の行列のように無数の罪人が一緒にのぼってきているではないか。
こんな細い糸が、その重さに堪えられるはずがない・・・。

 もしこの糸が切れたら、もろともに地獄へ逆戻ることになってしまう。
そう考えると、とっさに「こら罪人ども!この糸は俺のものだ。
最初に掴まったのは俺だ、降りろ!みんな早く降りろッ!」と、喚いたのです。
その瞬間、糸は「プッツーン」と切れて、独楽のようにくるくる回りながら瞬く間に暗闇の中へ堕ちていったのでした。

 一部始終を御覧になっていた釈尊は、悲しそうな御顔をなさりながら、
「無慈悲とはこういうもの。げに怖ろしきは慳貪の罪!」と、静かに呟いたのでした。
   (出典:芥川龍之介『蜘蛛の糸』)

 宗祖日蓮大聖人は、
「一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし。」(『諌暁八幡抄』新編1541頁)
と、順逆二縁の衆生を救う広大無辺な大慈悲の御境界を披瀝されています。
毒気深入した末法の衆生をいかにして五濁の苦しみから救い出すか、その御心中はつねにとめどなく甘露の涙が流れていたのです。

私達は、その大慈大悲に浴して今を生きています。
不知恩の誹りを受けないために、慳貪の罪を恐れ、いよいよ報恩感謝の炎を燃やして、自行化他の信行に徹することが大切です。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2022年7月1日号より