日蓮正宗美畑山清涼寺 千葉の清涼寺 法華講ホームページ 千葉県千葉市花見川区畑町

日蓮正宗美畑山清涼寺は、千葉県千葉市花見川区にある日蓮正宗の寺院です

〒262-0018 千葉県千葉市花見川区畑町2010番地 Tel.043-273-3987
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今月の指針「平凡は非凡」

 「自分は平凡な一生を送れればそれで充分。
特定な宗教を信じて信仰に励み、自分を磨き、向上しようなどとは思わない。」

 こう言われると、取り付く島もありません。
一生平穏に暮らせるなら、それもむべなるかなというものです。
しかし実際は、そう甘くはありません。
現実は、それを容易にさせない五濁爛漫の世界が広がっています。

 私達は一人で生きていくことができない社会的動物であり、まして無始以来の罪障を命に刻む荒凡夫です。
それらが縁に触れて病気や不慮の事故、自然災害等となって突然襲ってきます。
受験の失敗や事業の、恋の破局や人間関係の破綻など様々な困難は後を絶ちません。
人生は晴れの日ばかりではなく、強風に煽られ、大雨に激しく打たれる日もあるのです。
そして人生の最期、それはいつ訪れるか誰もわかりません。

 加えて高度に発達した現代は、便利な反面、危険や重圧が充満する超ストレス社会です。
そんな中で人間らしく、しかも平穏に暮らすこと自体簡単ではありません。
そのように考えると、風雪に耐え、悪縁に紛動されずに「平凡に生きる」ことの何と難しいことか。
平凡とは非凡の異名、平凡に生きること自体が非凡なのです。

 仏教で説く現世安穏の境涯は、単なる無風状態の意味ではありません。
厳しい現実と対峙しながら、悠々とそれを乗り越える克服をいうのです。
その源泉は妙法の力です。
適切な判断力、果敢な行動力、勇気と責任感、それらを支える力は、妙法の正しい信仰から生まれるものです。

 湖面をスイスイ気持ちよさそうに泳いでいる白鳥も、水面下では両足を懸命に動かしています。
平凡を望むからこそ、真摯な信仰を通して社会の荒波を乗り越える必要があるのです。

 『四条金吾殿御返事』にいわく、
「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。」
   (新編991頁)

 一見平凡に見える非凡な人生は、末法の時に適った三大秘法の大御本尊を根本とした信心の実践以外に無いことを改めて強く確信したいものです。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2022年8月1日号より

今月の指針「誌名『従藍而青』に込めた思い」

 これまで清涼発展に大きく寄与してきた『清流』、『清涼池』の後続として、今般新たな寺報が発行される運びとなりました。
誌名は『従藍而青』(じゅうらんにしょう)、出典は御書『上野殿後家尼御返事』です。

 上野殿後家尼は、大石寺の開基檀那・南条時光の母です。
大聖人から「上野賢人」とまで絶賛された子息・時光の純真不屈の信心は、この母の感化によるものです。
その後家尼に対して大聖人は、生死不二の成仏の大事を教えられ、一層信心に励んで「まことの道心者」になれと激励されました。
「従藍而青」は、その時のお言葉です。

 もともと中国の古典『荀子』(じゅんし)には、「青は藍より出でて藍より青し」という有名な格言があります。
それを受けて天台大師は、『魔訶史観』(まかしかん)に「従藍而青」と説き、仏道修行のあり方を示されました。

 周知の通り、藍は青色の染料を得るための植物です。それ自体はそれほど濃い青色ではありません。
しかし、そこから絞った液に何度も何度も布を浸していけば、その布は見事な青色に染め上がっていくのです。

 大聖人は、この「従藍而青」を引かれて、次のように後家尼を教導されました。法門自体は藍のようなもの、しかし、それを繰り返し聴聞し身をもって修行すれば、やがて信心が磨かれて見事な深い青に染まっていく。
我が身の仏性が輝き不動の境界を開いていくのが、真の道心者なのだと。

 日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救う御本仏として、三大秘法の大御本尊を顕されました。
その御本尊の藍から、どれだけ深い青を引き出して見事な青色に染め上げていくか、信心を大成して真の幸せを築いていくか、それは私達一人ひとりの信心にかかっています。

 このことを信心の先輩・後輩にあてはめることもできます。先輩は藍、後半は青です。
信心の後輩が、講中の先輩からどれだけ信心の藍を引き出して自分の力として、出藍の誉れを体現するか。一方、先輩はどれだけ後輩の同志を見守り育てて見事な青に染め上げていくか。

 学生の頃、私は、ある先輩から「私を追い越せ。」と言われました。
即座にその先輩はこう言ったのです。
「自分も簡単には君に抜かれないよう努力する。こうして切磋琢磨しなければ宗門の発展はない。有為な人材の輩出もない。」と。

 「出藍の誉れ」があってこそ法華講にも人材が生まれ、育って発展していくのです。
清涼寺法華講の未来は、広布の人材育成と輩出にかかっています。
新たに誕生する寺報が、清涼寺法華講一人ひとりの信心向上は勿論、広布の有為な人材育成の一助となることを切に願い、発刊の言葉といたします。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2021年12月1日 創刊準備号より

今月の指針「志は満たすべからず」

 『礼記』(らいき)に、
「傲りは長ずべからず。欲は従(ほしいまま)にすべからず。志は満たすべからず。楽しみは極むべからず。」
とあります。

 傲りは驕慢(きょうまん)、十四謗法の筆頭です。自信と確信は生きる力、慢心は衰退の源です。
「慢は山の如し、雨水止まらず」。山上に降った雨が瞬く間に下方に流れるように、慢心は積んだ功徳を洗い流してしまいます。
信心の難敵である驕慢を絶対に看過してはなりません。

 貪欲(どんよく)は、放置すれば身の破滅を招きます。
少欲知足(しょうよくちそく)は、貪欲を抑える心のコントロールです。
欲望も志も満たされないからこそ別の志が立ち、新たな発心が芽生え、更なる進歩に繋がっていくのです。

 もし志が簡単に達成できたとしたら安心が生れ、過信を生み、魔がつけ入って躓き(つまずき)のもとになります。
楽しみも極めれば侘びしさ(わびしさ)が残り、酔い覚めの空しさを味わうことになります。
人間にとって、志というものは満たされないからこそ、更なる高みを目指して努力を重ねることができるのです。

 日蓮大聖人は、
「深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず(おこたらず)磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。」
   (『一生成仏抄』新編46頁)
と御教示です。
信心とは、常に前進して自己の成長を願うもの、進まざるは退転です。
魔は虎視眈々(こしたんたん)と油断の隙を狙っています。
三大秘法の御本尊を固く信じて、倦まず弛まず(うまず たゆまず)勤行・唱題に励んで仏性を磨く、そこに何ものにも侵されない瑞々しい命が輝き続けることを忘れてはなりません。

 自行の着実な実践が化他の力を生み、折伏の意欲が沸き上がって弘教の実践に繋がります。
「自行満ちて化他あり。」皆様の充実した日々を心からお祈りいたします。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2022年6月1日号より

今月の指針 「蜘蛛の糸」

 ある時 釈尊 が、極楽の蓮池に浮かぶ蓮葉の間から、水面下に深く広がる地獄の様子を御覧になると一人の男の姿が目に止まりました。
それは、悪事の限りを尽くして地獄に堕ちて藻掻き苦しむカンダタの姿でした。
しかしそんな男でも、たった一度だけ一匹の小さな蜘蛛を見つけて踏み殺さず、「待てよ、これも小さな命」と逃してあげたことがありました。
釈尊は、その僅かな善行の報いとして地獄の苦しみから救い出してあげようと、一本の蜘蛛の糸を地獄へ下してあげたのです。

 遠い天空からゆっくりと下りてくる一筋の細い蜘蛛の糸。それを目ざとく見つけたカンダタは、藁をも掴む思いでこれに縋りつき、夢中で上へ上へと昇っていきました。
血の池は遥か下方に沈み、針の山もだんだん小さくなっていきます。

 「しめ、しめ、意外と簡単に脱出できるかもしれない。」などと、虫のいいことを考えながら足もとを見ると、糸の先には、まるで蟻の行列のように無数の罪人が一緒にのぼってきているではないか。
こんな細い糸が、その重さに堪えられるはずがない・・・。

 もしこの糸が切れたら、もろともに地獄へ逆戻ることになってしまう。
そう考えると、とっさに「こら罪人ども!この糸は俺のものだ。
最初に掴まったのは俺だ、降りろ!みんな早く降りろッ!」と、喚いたのです。
その瞬間、糸は「プッツーン」と切れて、独楽のようにくるくる回りながら瞬く間に暗闇の中へ堕ちていったのでした。

 一部始終を御覧になっていた釈尊は、悲しそうな御顔をなさりながら、
「無慈悲とはこういうもの。げに怖ろしきは慳貪の罪!」と、静かに呟いたのでした。
   (出典:芥川龍之介『蜘蛛の糸』)

 宗祖日蓮大聖人は、
「一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし。」(『諌暁八幡抄』新編1541頁)
と、順逆二縁の衆生を救う広大無辺な大慈悲の御境界を披瀝されています。
毒気深入した末法の衆生をいかにして五濁の苦しみから救い出すか、その御心中はつねにとめどなく甘露の涙が流れていたのです。

私達は、その大慈大悲に浴して今を生きています。
不知恩の誹りを受けないために、慳貪の罪を恐れ、いよいよ報恩感謝の炎を燃やして、自行化他の信行に徹することが大切です。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2022年7月1日号より

行学の二道を励み候べし

日蓮大聖人様は『諸法実相抄』で、
行学の二道を励み候べし。行学 絶へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。」(御書668頁)
と御教示のように、己の信心に於いて「行」と「学」が具わっているか否かであります。

即ち「行」、朝夕の勤行・自行に加えて化他行の折伏・育成に日々精進しているか否かであります。

また「学」は「御講」や「御経日」に参詣して仏教学を学んでいるか否かであります。
この教学への錬磨がなければ、日蓮正宗に入信する以前、邪宗教に関わっていた時と変わらない事となり、此の様な信心では、日蓮大聖人様が仰せの、
「若し法華誹謗の失を改めて信伏随従する共、浅く有っては無間に堕つべきなり。先の誹謗強きが故に依るなり。」(御書1779頁)
と『御義口伝』に御教示の如く、厳しい人生を余儀なくされる事でしょう。

此の様な信心では、自身の宿業を打開する事は無くなります。
今の人生を更に良くする為にも真面目に「行学の二道」に精進する事であります。

御住職御指導 「清涼池」(平成31年2月1日号)より

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〒262-0018
千葉県千葉市花見川区畑町2010番地
日蓮正宗 美畑山 清涼寺
Tel.043-273-3987

※ 総本山は「大石寺」です。
  本宗は、「富士大石寺顕正会」「創価学会」とは一切関係ありません。

日蓮正宗公式サイト: http://www.nichirenshoshu.or.jp/

 

 

清涼寺本堂の沿革

昭和32年(1957年) に此の地に在った「一軒の大きな農家」を東京・池袋の常在寺の「千葉出張所」として開所したのが始まりとなっております。
その農家の大黒柱が、御寺の受付の右側にある「穴が刻まれている太い欅の柱」がそれであります。

その後昭和34年(1959年)に、清涼寺としての寺号がやっと公称になり、初代住職・菅野慈雲(後に常観院)御尊師が…、そして二代目・細井珪道御尊師の時、昭和57年(1982年)に、この本堂の瓦屋根が銅板葺になったという記録がありました。

この本堂、この地に立つ前は東京・墨田区向島の常泉寺の本堂でした。 江戸で一番力のあった常泉寺、戊辰戦争の時に火災を免れましたが、その後の関東大震災で東京・下町の建物の多くが壊滅状態になり、常泉寺も同様に倒壊しました。
それにより昭和の初め、今日、清涼寺の本堂となっておりますが、これが常泉寺の本堂として建ちまして、当時建てられた御方が、今の御隠尊日顕上人のお父上の日開上人の時代に建てられたと伺っております。
非常に資材のない時代でしたので、この建物自体の木材・資材などは「そんなに良い資材じゃないよ」という話を伺った事があります。

その後の太平洋戦争の時の東京大空襲。この時も常泉寺は火災を免れました。
深川、本所など隅田川の東側の建物の多くが焼焼失しましたが、常泉寺はこれも免れました。
しかし、その時にかなり屋根も傷んだので、その屋根の修復も兼ね、その当時、常泉寺の執事として本行寺の住職を務めておられた御方が、今日の御隠尊日顕上人様で、まだ二十三歳頃だったそうです。
その当時の御住職から「何とかこの屋根を直したいんだが」と相談された時、戦争でもって多くの常泉寺の法華講員さんが散り散りになっていた事もあって御隠尊日顕上人は自転車で東京都内を駆けずり回り、何とか百円程を皆さんからの御供養として預かり、屋根瓦を設える事が出来、 それがそのまま清涼寺の本堂瓦として使われていたのが、昭和57年(1982年)に銅板葺に替えられたのであります。

人として生まれて来て「転重軽受の法門」

 法華経の結経・観普賢経の「若し懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え」の前には「一切の業障海は、皆 妄想より生ず」と…。即ち一切の宿業、罪障、自分の過去世から持ってきた処の罪業・罪障、そういうものは海のように多量と説かれております。

 しかし、今世で己の宿業を打開できるとなると、本当にこれは有難いものです。 我々は過去遠々劫から、様々な境界・様々な人生で生まれては死に、また生まれては死にして、今日人として生まれて来ているものです。

 人それぞれ皆違った境涯を歩いております。一人として同じ人はいません。 皆それぞれに過去の人生が体に付けられていて、「私は人間に生まれて何回生」とか「今回初めて人間に生まれました」とか「いや、何度も人間に生まれ正法を護持しています」とか、そういうのが判れば、生きていく上で謙虚になり、反省も出来でしょうが、そうはいかない。

 生まれた途端、無意識の中で現世初めて生まれたとの思いから、それぞれが気ままに生きています。 処がそうじゃない。過去から何度も何度も生まれてきては、場合によっては、正法に巡り合える人もいるだろうし、場合によっては、罪障を作って長い間 三悪道に堕ちて、やっと今回「また人として生まれて来た」という事もあり得るかもしれない…。 そういう人は、まだ過去の謗法の罪が、習気・罪障として残っているとも説かれています。 それを今世でもって、正しい仏法の修行をする事によって、軽く受けていると…。

 涅槃経の「転重軽受の法門」には、本来重く受けるべきなのに、この妙法の経力によって軽く受ける事となると説かれています。

 従いまして、今日我々が正法弘通の為に常々唱題を重ねている事は、自身の罪障消滅・家内安全は元より、自他共に安穏なる国家社会を願う処にあります。 その為にも唱題をもって、その喜びと功徳を感じて頂きたいものであります。

 本来自身の生命に宿業として具わっているものが今、出ているだけですから、出てくるものに対して何だかんだ…と。 「あの人の所為で…、私は悪くない」等と。そうでないんです。 すべて自身の生命に宿っている・具わっているものが、今、妙法護持の功徳力によって、今世で軽く現れているものであります。 自分自身が持っているものが今、出て来ているのです。 今世に出たのであれば、よしこれはチャンスだと、歓喜をもって唱題をして、その歓びで折伏をして、自らの宿業を打開していこうと…、その唱題が大事なんです。 どうかそういう中で、決して今自分の起きている色んな問題に対して、何も悔やむ必要はない。

 でもって「よし宿業を打開できるぞ!」という強い生命力を涌出させる為にも、歓喜ある唱題・折伏に頑張って、宿業を打開して頂きたいと思います。

<御住職御指導より 2014年9月7日 清涼寺にて>

《お会式》について

《お会式》とは、宗祖日蓮大聖人様が、弘安5年(1282年)10月13日に御入滅され、滅不滅・三世常住の御姿を示されたことを「御祝いする儀式」で、末寺における年中行事の中で、一番大切な行事であります。

 一般世間において《お会式》といえば、大聖人様の御命日の法要と考えておりますが、日蓮大聖人様を、末法有縁の『下種の御本佛』と仰ぐ日蓮正宗においては、その御入滅は、御本佛の生命として、永遠の生命の中で、真実には『常住此説法の大導師』におわしまし、末法万年にわたり常に此処に住せられ、末法万年の闇を照らし、濁悪の衆生を救済し給うところの『非滅の滅』の御境涯にあると拝するのであります。

 故に《お会式》は、日蓮大聖人様の『永遠不滅の御本佛』としての、生命の御境涯を拝するところの「お喜びの儀式」なのであります。
これ等の意義を略記しますと、
一、久遠以来常住の御本佛の『非滅現滅・非生現生の不可思議なおいのち』を拝す。
一、御本佛は過去現在未来の三世にわたり『法報応の三身、常住なる処の生命』と拝す。
一、大聖人御入滅後の弟子信徒の在り方として、大聖人御一代御化導の上から、儀式の中、立正安国論並びに申状を奉読し、『大聖人の折伏の佛法』なる事を示す儀式と拝す。
 以上、茲に《お会式》についての意義を略記いたしました。

 次に《お会式》を迎えるに当たり、過去の先輩達の信心の一例を御紹介致します。
昔、讃岐(現在の香川県)に秋山泰忠公と云う、強信な豪族がおられました。
この秋山泰忠公は、日蓮正宗の第二祖・日興上人の教化により、信仰を貫かれた御方であり、讃岐の高瀬一郷の一族を、あまねく純粋な信心を勧める為に百方努力を惜しまず、今日の讃岐本門寺の磐石な基礎を築かれた殿様であります。

 この秋山泰忠公の訓戒(富士宗学要宗=八巻・124頁)に
 『十月十三日《お会式》の御事は泰忠が跡を知行せんずる男子・女子・孫・彦に至るまで、忠(義)をいたし申しすべきなり。 (中略)内々は、兄弟といひ、又は伯叔父の中、従兄弟の中にも恨むことありとも、十三日《お会式》には、相い互いに、心を一つにして、御佛大聖人を、泰忠が仰ぎ申すごとくに、十五日まで皆々一所にて御勤め申しべく候(中略)内々は、如何なる遺恨ありと云うとも、十月十三日《お会式》には、いささかも、本意なき事をば思い捨てて祀り申すべきなり。』

 『もし、此の状を背いて違乱を致さんずる子供は、御佛大聖人・十羅刹・八幡大菩薩の御罰を被るのみならず、泰忠が為には永く不幸の者なり、譲る所をば、一分なりとも知行すべからず』
と、このように一族にあって《お会式》の意識のない者は、佛の守護なきは元より、一族としての立場が無くなる旨を訓戒として遺され、ここに秋山家の繁栄・永続を磐石なものとし、さらに信仰の基盤たる菩提寺・本門寺の興隆を計られたのであります。

 今我々法華講員は、この秋山泰忠公の法統相続に対する強い信仰心を鑑とし、更に寺檀和合して寺運興隆を果たされた真の信心の姿を見習い、来る《お会式》には、何が何でも《お会式》第一と考え、正しい信心の姿勢をもって一家全員が参詣して御本尊様へ常日頃の御加護に対して御報恩感謝申しあげ、今後の生活に於いての無事安穏を御祈念し、我が家の法統相続・正法弘通へ精進すべく意義深き《お会式》として戴くことを、茲に御案内致します。

日蓮正宗 信仰のすすめ

 「信仰」というと、なにか堅苦しいイメージをいだいてしまうかもしれませんね・・・。
でも信仰とは私たちの人生を送るうえで、欠かすことのできないものなのです。

 お釈迦さまは今からおよそ3000年前にたくさんの教えを説かれました。その教えというものは、私たちの現実世界からかけ離れた遠いところにあるというわけではなく、実は私たちの身近なところにあって、私たちがどう生きていけば本当の幸せを掴んでいくことができるか、などの答えを教えてくれたものなのです。

 もし、あなたが少しでもその教えに興味を持ち、自らの力で本当の幸せを掴んでいこうと望むならば、日蓮正宗の信仰の話に耳をかたむけてみてはいかがでしょうか・・・?。

第28号 H25.10.21 「あなたは火の信心?水の信心?それとも・・」

 皆さん、おはようございます。方丈通信でございます。

 大聖人の『上野殿御返事』に、
「抑今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。
水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり。
此はいかなる時もつねはたいせずとわせ給へば、水のごとく信ぜさせ給へるか。たうたしたうとし」
という、火の信心・水の信心を説かれている御文がございます。

 私たちの信心には大別して「火の信心」と「水の信心」があります。

 火の信心とは、一時的に強盛な信心を発こし、あたかも火が天に昇るように盛んに燃えた姿で仏道修行を行ったとしても、やがて時間が経つにつれて火がおさまり鎮火するように、信心も遠ざかってしまうことであります。
一時はよく寺院へ参詣していたのに来なくなってしまった、以前は折伏を必死に行っていたのに最近は停滞しているなど、浮き沈みが激しい信心のことを「火の信心」といいます。

 これに対して水の信心は、「いつもたいせず」と仰せのように、止まることなく常に流れ通う信心であります。
水は一カ所に止まっていると日ごとに濁りを増して、ついには腐ってしまいます。
ですから水は水でも濁っている水ではなく、川の水の如く常に流れ通う澄んだ水でなければならないのであります。
いつ如何なる時でも大聖人様の信仰を実践し続けることが「水の信心」をしている人であります。

 しかし、この「水の信心」を取り違えてはなりません。
 それは、水の流れるがごとき信心でも惰性に流された弱い信心ではいけないのです。
退転することはなくても歓喜もなく、情熱もなく、積極性もない信心ではいくら続けているとはいっても本当の大きな功徳は頂けません。

第五十九世堀日亨上人は、
「信仰の風格にも、各自の本然の気質をうちだすものである。
温良な人は、水の消極的の微温な信仰になりやすい。
猛烈な人は自然に火の信仰になる。
欲をいえば、火の信仰を水の信心に続かせたい。
すなわち、熱湯の信仰というべきであろうか」
と御指南くださっております。
「火の信仰を水の信心に続かせる」ような「熱湯の信心」が理想です。

 つまり常に滔々と流れる水のごとき信心をしながら、また積極的に勇猛に修行に励むことが肝心であります。
季節が移り変わっても、時代が経過しても惰性に流されることなく微弱な行体にならず、常に歓喜と情熱をもって生き生きとした信心を持ち続けることを心掛けましょう。

 また堀日亨上人はこうも仰せになっています。
「常恒不断の信仰は消極的で、ごく微温なものが多い。
不退の方は結構であるが、微温では仕方がない。消極は困りものである。
自身だけは、謗法もせず迷いも怠りもせぬつもりであろうが、消極の信心、微温の信仰では化他力が少ない。
白熾熱にして始めて燃焼の力用が強い。熱心なればこそ他人を感化するの効用がある」

 折伏においても熱意がなければなかなか相手の心を揺さぶることはできません。
相手を救おうという一念から情熱が沸き、その熱のこもった折伏によって相手の心を、命を動かすことができるのであります。

 どうぞ、皆様には水の信心を沸き上がらせて「熱湯の信心」を貫き通すことを心掛け、常に唱題に、折伏に燃え立ち勇猛邁進して頂きたいと思います。