12月20日(火)17時頃、台湾台中市 本照院信徒 10名(内 子供2名)が、日蓮正宗総本山大石寺参詣の途上、夕勤行されるため来寺されました。
清涼寺本堂にて、台湾信徒と清涼寺信徒有志で夕勤行の後、
清涼寺住職 石橋頂道御尊師から御指導がありました。
流暢な通訳があり、昨年まで台湾に赴任されていた御住職との息もぴったりでした。
清涼寺ロビーで記念撮影をし、台湾の方々は喜びの中、総本山大石寺へ向かわれました。
2022年12月18日(日)11時より、清涼寺支部結成50周年記念法要が奉修されました。
清涼寺支部は、1972年(昭和47年)12月13日に支部結成認可を受け、故増田廣司氏を初代講頭とし結成されました。
これを記念し、納骨堂前に銀杏が植樹されました。
この法要には、清涼寺で執事をされた本泰寺住職 平井次道御尊師が出席され、
千葉地方部より丸山副地方部長、清涼寺有縁の正願寺、本顕寺、仏心寺の信徒が来賓として参列されました。
法要の部は、
石橋頂道御住職の導師により献膳、読経、唱題が奉修されました。
式の部は、
杉田講頭より御供養目録が奉呈されたのち、石橋頂道御住職より受書の授与がなされました。
織戸副講頭より経過報告、
平井次道御尊師よりの祝辞、
丸山副地方部長よりの祝辞、
信徒代表による決意発表、
杉田講頭挨拶がありました。
最後に、石橋頂道御住職より参列の各位に対して謝辞が述べられました。
このあと本堂正面向拝において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了しました。
参列した清涼寺支部講員は、信心への決意を新たにしました。
清涼寺では、下記にて奉修されます。
11月15日(火) 13時 目師会
第三祖日目上人のご事蹟:
代々を経て 思いを積むぞ
富士の根の 煙よ及べ 雲の上まで (時世の歌)
第三祖日目上人は文応元年(1260年)、伊豆国仁田郡畠郷(静岡県函南町)に出生し、幼名を虎王丸(とらおうまる)と称されました。
母は、南条時光の姉です。
日興上人が伊豆に弘教されたときに弟子となり、そののち、身延に登って日蓮大聖人に常随給仕し、「宮内卿の公(くないきょうのきみ)」のちに「新田卿阿闍梨」と称されました。
日目上人は、東北から東海に至る各地に弘教するとともに、幕府及び朝廷に生涯42度にわたる諌暁(かんぎょう)をされました。
正応3年(1290年)10月13日、日目上人は日興上人から内付嘱(ないふぞく)を受けられました。
さらに元弘2年(1332年)11月10日、一閻浮提(いちえんぶだい)の座主と定められて、本門戒壇の大御本尊を相伝されました。
翌 元弘3年(1333年)10月、日目上人は第4世日道上人に唯授一人(ゆいじゅ いちにん)の血脈を相承し、同年10月15日、天奉の途上、美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳で入滅されました。
<「第三祖日目上人と正法伝持」より>
大聖人のおそばで常にお給仕に励んだお姿は、末代の僧俗すべての鏡として長く門葉の讃仰するところです。
そのご高徳を拝する末弟信徒は、報恩の誠を尽すため、祥月命日の11月15日に目師会を奉修します。
この日目上人の身命をなげうって広宣流布に努められたご精神は、永遠に受け継いでいかねばなりません。
日蓮正宗においては、法のため、国のため、一切衆生救済のため老体をもかえりみないこの不惜身命の尊い行体を鑑とし、ご報恩の法要を真心をもって奉修しているのです。
弟子と共に京に向かわれる日目上人(宮沢慈悳房拝写)
清涼寺での御会式は、
出仕鈴、献膳、読経、焼香
御申状捧読、
日有上人御申状、
立正安国論、
日蓮大聖人御申状、
日興上人御申状、
日目上人御申状、
日道上人御申状、
日行上人御申状、
自我偈、唱題、終止鈴、
布教講演、
お花くずし
の式次第で奉修されました。
布教講演
10月8日(土)御逮夜(1-2) 16時
講題「心の鏡」
小木曽明樹御尊師(大石寺大坊内)
10月8日(土)御逮夜(2-2) 19時
講題「異体同心こそ、勝利の秘訣」
原道準御尊師(江戸川・大護寺住職)
10月9日(日)御正当会(1-2) 11時
講題「一切は現証には如(し)かず」
菅野道渉御尊師(鎌ヶ谷・鎌谷寺住職)
10月9日(日)御正当会(2-2) 14時
講題「自行化他に真の功徳あり」
宮田成済御尊師(清涼寺・執事)
清涼寺山門
御正当会
布教講演
「宗祖日蓮大聖人 御会式」を、日蓮正宗美畑山清涼寺において
下記で奉修致します。
コロナ禍の為 参加者数の制限がありますので、
講中または寺院受付へお申し出ください。
10月 8日(土) 16時,19時 宗祖日蓮大聖人「御会式(御逮夜)」
10月 9日(日) 11時(主),14時 宗祖日蓮大聖人「御会式」(御正当会)
《お会式》とは、
宗祖日蓮大聖人様が、弘安5年(1282年)10月13日に御入滅され、
滅不滅・三世常住の御姿を示されたことを「御祝いする儀式」で、
末寺における年中行事の中で、一番大切な行事であります。