日蓮正宗美畑山清涼寺 千葉の清涼寺 法華講ホームページ 千葉県千葉市花見川区畑町

日蓮正宗美畑山清涼寺は、千葉県千葉市花見川区にある日蓮正宗の寺院です

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今月の指針 11月号「一三三三年」

今月の指針 11月号「一三三三年」

西暦1333年(元弘3年)。
 それは、日本史上の大きな転換点となった年です。
武家政権が司(つかさど)る鎌倉幕府が衰退して遂に滅び、約140年ぶりに天皇中心の政治体制に移行したからです。
その建武の新政も、新政とは名ばかりで、争乱に明け暮れた混迷の時代の幕開けでした。
戦乱に巻き込まれて犠牲になった民衆の数は計り知れません。
正に末法濁悪の様相そのものです。

 ところでわが宗門にとってこの年は、2月に第二祖日興上人が霊山に旅立たれ、宗内は深い悲しみに包まれておりました。しかし唯授一人の法統は連綿と第三祖日目上人へ継承され、そこにはいささかの乱れもありません。

 ややもすれば沈みがちな空気の中で一宗を統率遊ばされる日目上人の胸中に去来するものは、広布の停滞はいささかも許されないという強い使命感と責任感でした。
師弟相対の信心に純真に励む僧俗も、この試練を乗り越え、更なる広布への前進を誓い合ったに違いありません。

 そんな矢先に始まったのが建武の新政です。
混迷の時代の幕開けとはいえ、天皇政治に対する期待感は否応なく高まったのです。
顧みれば、大聖人の三度の高名も日興上人の国家諌暁も、謗法にられた権力者や仏法に盲目な民衆に受け入れられることはありませんでした。
日目上人はこの時とばかり、高齢を顧みず、病身を推して決死の上洛を思い立ったのです。

 しかし74歳の御高齢は大きな壁となり、永年の布教と度重なる国家諌暁の無理から来る衰弱は、如何ともしがたいものでした。
遂に御自身42度目となる天奏の途次、1333年(元弘3年)11月15日、寒風吹きすさぶ美濃垂井で寂光の宝刹に御還りになられたのです。
その壮絶な御最期は、ひたすら御遺命のままに広布に一身を擲(なげう)たれ尊極の御生涯でありました。

 勤行第三座の観念文には、日目上人を「一閻浮提の御座主」と尊称いたします。
それは、「全世界の民衆を指南し、化導する貫主上人」という意味に他なりません。
その尊崇の念は、いつしか「代々の御法主上人はすべてこれ日目上人なり」、「代々の御法主上人は目師の座に住す」と言い伝えられて現在に至っています。
これも偏(ひとえ)にあの壮絶な御最期に由来するものと拝します。

 宗門の末弟に連なる私達は、日目上人が垂井に雪中に留められた広布への至心を我が命に刻み、いよいよ折伏弘教の使命を果たしていかなければなりません。
互いに奮い立ち、更なる広布に向かって邁進してまいりましょう。

清涼寺 寺報 「従藍而青」
今月の指針 指導教師 石橋頂道 御尊師
2022年11月1日号より

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